これが経営戦略の歴史の始まりだ! 第1章テイラー「科学的管理法」
経営戦略の歴史をアウトプットするために書きました。間違いなどありましたコメントにてご指摘お願いします!
第1章では近代マネージメントの3つの源流を紹介します。
経営戦略の始まりは18世紀頃、フレデリック・テイラーの「科学的管理法」から始まりました。
フレデリック・テイラー(Frederick Taylor)1856〜1915
ハーバード大学法学部に入学するが目を悪くして退学。
19歳、ポンプ工場に見習い工として就職以降、職場の生産性向上に努める。
35歳、独立して、多くの企業を立て直す。
55歳、「科学的管理法の原理」を出版。
18世紀頃、産業革命により街頭や工場に明かりが普及し始めた。
テイラーはハーバード大学法学部に合格するが目の病気により大学を辞めることになった。
その後19歳でポンプ工場にて現場作業員として勤めた。22歳でメッドベールスチールで機械工として働く。
18世紀後半、当時は工場の管理者の力が強く現場作業員らは働くだけ無駄、組織怠業が蔓延していた。
その問題として、当時は賃金が低い上、頑張っても頑張らなくても賃金は変わらないシステム。そして1人当たりの作業量もバラバラであった。
テイラーはこのままだと労働者も経営者も幸せになれないと思い、現状を変えようと数々の工夫をしていた。そんな彼に大きな改革をするチャンスが訪れた。社長から、600人の鉱山組織を任されるよう言い渡された。テイラーは現状を打開するチャンスだと思い色々な実験・研究を行った。
従業員が鉱石・灰をショベルで運ぶのに、毎日400・600人が適当なショベルを使っていた。これだと1人当たりの作業量は作業者によってバラバラになる。最適な重量を導き出して最適化する必要があると考えた。こうしてテイラーはショベル作業を研究して計画・管理・業務を明らかにした。
まず8種類のショベルの用意。
ショベルを差し込む速度や高さ投げる時間も最適化し研究した結果、1杯21ポンドが最適重量だと分かった。そのため作業者に合ったショベルが必要になった。
加えて、賃金体系もある一定の作業量を超えれば賃金率を上げる段階制にした。労使双方の幸せにするためには運搬量と道具の最適化、そして賃金体系の改正は避けて通れなかった。
その結果
1人当たりの作業量
16トン→59トン 3.7倍
1人当たりの賃金
$1.15→$1.18 +63%
生産量当たりのコスト(10トン当たり)
72セント→32セント -56%
これで「労使の相互不信から相互信頼・協調への転換」「生産工場による恩恵の労使での享受」になった(^▽^)/
その後もテイラーは多くの企業を立て直し労働者の賃金向上につなげました。独立したテイラーは「管理の目的は労使の最大繁栄」そして従業員の繁栄は賃金だけでなく「生来の能力の許す限り最高級の仕事が出来ること」だということを多くの人に広めました。
1911年、55歳になったテイラーは「科学的管理法の原理」を出版した。
科学的管理法とは
①タスク管理(課業管理)
一日の公平な仕事量を定める
②作業研究
熟練工のムリ・ムダ・ムラのない作業を未 熟練工に伝える
③マニュアル制度
使う道具や時間、作業が標準化されマニュアル化される
④段階的賃金制度
作業者のモチベーションを引き出すためのもので、1日のタスク(公平な仕事量)を超えていれば」賃金率が上がるなどの制度
⑤職能別組織
組織を計画機能と執行機能に分け、各々に専門部署を置く
公平な条件のもとで、より高い賃金を求めていた労働者や生産量の拡大を急ぎ効率化を求めていた経営者たちにとって理にかなったものでした。
そしてテイラーはさらに多くの労働者が幸せになることを望んでいましたが、それは叶えませんでした。
生産性向上と賃金向上の両立を目指したが
経営側が暴走しました。テイラーの科学的管理法を利用し労働生産向上の道具だけに使い、その利益を労働者たちと分け合えませんでした(怒)
労働者はそれに反発して科学的管理法の導入拒否を訴える労働組合が出来ました。
その批判はテイラーにも被害が向き結果、計画・管理と現場を分裂して労使対立を激化してしまいました。
こうして、テイラーは後世の人々は私の夢みた世界を実現してくれるはず、、と信じて1915年59歳で亡くなりました。
テイラーさん超かわいそう(´;ω;`)
次回
彼の前提であった「労働者は賃金の為に働く(経済動機)が崩れ始め、安価な自動車、T型フォードがその端緒に!