ニートのアメリカ留学物語

今アメリカに留学している。ニート。日々の鬱憤を爆発する場所。

【第2章開幕】「経営戦略」で世界恐慌を乗り切ったチェスター・バーナード先生! バーナード革命でなんかかっこいいよね

皆さんこんにちはALEXです。
第1章が終わり、第2章の「近代マネジメントの創世」の始まりです。
今回はあの世界恐慌を経営戦略で乗り切ったという、バーナード革命です。
では書いていきます(^▽^)/

チェスター・バーナード(Chester L.Barnard)1886~1961

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41歳ベル子会社の社長、20年間活躍
52歳『経営者の管理』出版。共通の目的=経営戦略、などとし「バーナード革命」と呼ばれる。

世界恐慌

社会ではなんともしがたい力が企業を襲うことがあります。
1930年代はアメリカと欧州列強諸国にとって暗黙の時代でした。

アメリ
1929年10月24日、アメリカ株式市場での株価急落(black Thursday)に端を発した信用縮小は世界を飲み込み、世界恐慌とよばれる経済崩壊を引き起こしました。第1次世界大戦後の好景気でバブル状態だったアメリカのダウ平均株価は5分の1になり、GDPも3割減と大きく落ち込みました。

イギリス・フランス
イギリスも大打撃を受けました。1931年以降、旧植民地各国によるブロック経済化を進めます。
他の国のモノは安いから入っちゃダメ!!
      ↓
  高い関税の壁を立て
      ↓
    入れなくした

ドイツ
ドイツでは第1次世界大戦後の巨額の賠償金を支払いに加えて、アメリカ・フランスも資本の撤退で経済は破綻、失業率は40%を超えます。これがヒトラー率いるナチスの台頭を招き第2次世界大戦へと繋がります。

1930年代は外部環境の変化で多くの企業が倒産しました。このとき、企業経営者たちは「外部環境」というものの恐ろしさを思い知りました。自社1社ではなんともしがたい力が企業を襲い、多くが倒産しました。下り坂であったフォードは世界恐慌に際し、在庫を抱えて方針転換もままならず、その傷を広げました。

しかし一方で外部環境の変化に対応した会社もありました。
「ピンチはチャンスなり~」
ルフレッド・スローン(Alfred Sloan、1875~1966)

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GMの中興の祖アルフレッド・スローンは多ブランド戦略や自動車ローンの提供絵需要喚起や在庫管理に成功してシェアを大きく伸ばしました。ついにはT型フォードでの単品経営にこだわったフォードを抜き去ります。スローンの分権経営の勝利でした。

このように外部環境の大きな変化に対しての経営者の方針が企業の運命を決めたのです。

このことを明確にしたのがチェスター・バーナードでした。彼もフェイヨルと同じく経営のプロでした。1927年から20年間、ベル子会社の社長を務め、その発展に貢献しました。社長在任中に出版した『経営者の役割』(1938)は世界恐慌で苦しんだ経営者を鼓舞するものでした。君らの役割は重い、と。

バーナードの主張

企業体は単なる組織の集まりではなくシステムとして動かさなくてはならない。
彼は企業体を単なる組織ではなくシステムとして定義しました。
そしてその成立要件として3つ捧げました。

①共通の目的(=経営戦略)
②貢献意欲
③コミュ二ケーション


経営に対して「戦略(strategy)」という軍事用語を用いたのは彼が最初です。経営者は自ら目的をつくらなければなりません。そしてそれを実現するために作戦(戦略)を考え、連絡を密にし、モラール(士気)を高めるわけです。当時、自らの組織(システム)に「共通目的(経営戦略)」を与えるのは経営者の役割なのだという考え方は画家的なものでした。
彼は古典理論(テイラーなど)・新古典理論(メイヨー、フェイヨルなど)と、この後の近代マネジメント論をつなぐ結節点として捉えられています。


ここからいよいよ「経営戦略論」の登場です!

次回

時代を超えた巨人、ドラッカー