【第2章、2話】「マネジメント」の有効性を広めた伝道師。時代を超えた巨匠、ピーター・ドラッカー!!
皆さんこんにちはAlexです。
今回は時代を超えた巨匠、ピーター・ドラッカー!!
名前を聞いただけで興奮する人ですが、今回は残念ながら深くまで説明はしません(出来ない)
この記事では「近代マネジメントの伝道師」として活躍した1940~50年代の思想を紹介します(^▽^)/
では、行ってみようー
ピーター・ドラッカー(peter Drucker 1909~2005)
「マネジメント」有効性を世に広めた”伝道師”
22歳、公法・国際法の博士号。新聞社で働き始める。
37歳、アメリカに渡る
37歳、GMを研究し『社会という概念』出版
46歳、『現代の経営』でマネジメント分野のリーダーに
65歳、『マネジメント』出版。日本だけで400万部以上。
プロフィール
ピーター・ドラッカーは20世紀初頭のウィーンに生まれました。22歳で公法・国際法の博士号を取り新聞社で働き始めます。95歳で亡くなるまでには33冊以上の著作を発表され、37ヵ国以上で出版し『マネジメント 課題・責任・実践』は世界で数百万二人読まれています。
事の始まり
1946年『会社という概念』は前回紹介した、GMがドラッカーに依頼した自社研究(経営方針・組織など)のレポートです。
自社研究の結果、GMが採用していた事業部制の素晴らしさが分かりした。大企業を管理する分権作業の手法として見事でした。
しかし、ドラッカーは欠点を見つけ出しました。「GMは作業員を利益追求のための(削減すべき)コストとして考えているが、作業者は活用すべき経営資源である」「GMは命令と管理を重視する官僚主義に陥っており、将来の急激な変化に対応できない」と言いました。従業員たちへのさらなる権限移譲と自己管理の必要性を提起しました。
それに対して、GM幹部たちは大いに不興は買い「禁書」扱いもされました。GM以外では「分権化」の必読書として賞賛され、危機に陥っていたフォード再建の教科書ともなりました。
企業を中心としたこの「産業社会」は社会として成り立つのだろうか?
「社会的存在としての人間」はこの産業社会において幸せになれるだろう?
その答えは、分権化とマネジメント
【現代の経営】で企業とマネジャーの存在意識を明示した
1954年、『現代の経営』でドラッカーはマネジメント分野でのグル(指導者)としての地位を確立しました。シアーズやAT&Tという「新しい」成功企業たちを詳細に紹介しあがら言いました。
「経営管理者の仕事こそが事業に命を与え、そのリーダーシップがあってこそ資源たるヒト・モノ・カネが動き出すのだ」
この本では「マネジメント」を独立した機能として捉え「マネジャー」の役割を明示します。内容としてはフェイヨルのそれと似たものでしたが、機能でなくマネジャーという個人たちに向けて語ったことでその共感を得ました。
企業経営を「機械的な内部管理」だけでなく3つの側面から考えた。
- 顧客の創造 企業は顧客への価値を創造するためにある
- 人間的機会 企業は人を生産的な存在とするためにある
- 社会的機関 企業は社会のコミュニティーの公益をなすためにある
いずれも現代に通じるコンセプトであり、①はマーケティングの根本であると同時にイノベーションの勧めでもあります。③はCSR(Corporate Social Responsibility企業の社会的責任)とまさに現在のテーマです。
とても第2次世界大戦直後、60年前の主張とは思えないです。でもそれは、彼の先進的主張にみんなが共感はしても実現しきれなかったということでもあります。理念の実現にはやはりもっと具体的な経営戦略論が必要でした。
裏返せば、それは彼のコンセプトに実現が追いついていけなかった、ということでもありますが、それはドラッカーのせいではありません。彼は研究者であり教育者でもあり、そして何より著述家・文筆家なのです。有効なコンセプトをつくり、まとめ、伝えることこそがドラッカーのミッションだったのです。その実現はわれわれの仕事です。
次回はいよいよ論から実行です。そしてアンゾフの登場です。彼こそが経営戦略の父と言える存在なのです(歓喜)
次回
市場と事業が複雑化した「黄金の1960年代」にアンゾフ登場!