ニートのアメリカ留学物語

今アメリカに留学している。ニート。日々の鬱憤を爆発する場所。

【2章・3話】「経営戦略論」の父、イゴール・アンゾフ!市場と事業が複雑化した黄金時代の1960年代、彼が生み出した数々の神の「経営戦略論」とは?一体なんなんだ!?

皆さんこんにちはAlexです。

 

今回は経営戦略の真の父、アンゾフ先生。経営・企業戦略の意味を唱えたり・成功する経営戦略に4要素を生み出したりと今回の記事は盛り沢山!ここでは紹介しきれないほどの華々しい業績があるアンゾフ先生ですが、悔しくも今回はほんの一部だけです(´;ω;`)。興味がある方はGoogle先生に聞いて下さいm(__)m

では、内容を書いていきますー(^▽^)/

 

 

イゴール・アンゾフ(H.Igor Ansoff 1918~2002) 


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32歳、数学と物理を修めランド研究所に。

 

38歳、ローキードに移り多角化研究。ローキード・エレクトロク二クスを立て直す

 

45歳、カーネーギー工科大学教授に就任。「ギャップ分析」「アンゾフ・マトリクス」などを生む

 

プロフィール

イゴール・アンゾフはロシアから家族とともに海を渡ってきました。彼は数学と物理がの修士号、そして応用数学の博士号を持ち32歳から米陸軍お抱えのランド研究上で6年間働きます。

さらに

ローキードで「多角化問題の基礎研究」

ローキード・エレクトロ二クスで「計画・プログラムの担当」副社長

最終的にはエンジニアリング部門の実質的経営者(ジェネラルマネジャー)

赤字部門へと見事に変身させました。

1963年にカーネギー工科大学の教授となるまでの13年間、彼は実務・実業経験を積んでいきました。そして13年間実業界で華々しい活躍をした後1963年45歳で学術界へ転向し、その時はすでに彼は「実証済み」の戦略構築の方法論コンセプトを携えていたのです。

 

 1960年代の背景

1960年代、当時の欧米経済は大いに発展していまいた。また規制緩和によって企業に多くは買収・合併(M&A)を経験することになります。

1957年代にはローマ条約によって欧州経済共同体(EEC)が創設され、欧州はひとつの大市場へと変わりました。その結果、海外売上比率が上がりました。

この複雑な状況(市場と事業の複雑化)の中で総戦略を立てるのか?アンゾフはそこに答えを提供したのです。1965年『経営戦略論』でのことでした。

 

『企業戦略論』は企業としての競争の意味と方向性を示した

経営・企業戦略の意味は大きく4つあります。

  1. 3Sモデル
  2. ギャップ分析
  3. 企業戦略
  4. 競争力の源泉

①3Sモデル

まず3Sとは企業における意思決定を3種類に分けたこと。

3Sモデル:

戦略 Strategy

組織 Structure

システム Systems

(後に7Sモデルの元になる)

 

②ギャップ分析

トップマネジメントの責務である戦略的意思決定。経営戦略は「現在と未来をつなぐ方針」。現在でも「ギャップ分析」としてあらゆる場面で使われます。

 

現状(As is)⇒(Gap)⇒ あるべき未来(To Be)

 

③企業戦略

企業が複数の事業を持つことが多くのなった時代なので経営戦略を2つに分かれました。

  1. 各事業の方針を決める「事業戦略」
  2. それら全体を管理・統合する「企業戦略」

企業戦略とは事業全体として、どちらの方向に成長を求めるかを決めること。

結果として、どのような事業セットを目指すかを決めること。いわゆる事業のポートフォリオ管理です。*ポートフォリオ管理=投資案件を個別では集合全体でのバランスで分析・検討して、経営資源を最適に配分すること(多分)

④競争力の源泉

既存の企業活動の中でもコアとなる強み。コアになる強みがなえれば競争すらならない。

 

この4つが、競争のおける基本的な考え方と明示しました。

 

これが成功する経営戦略の4要素だ!

さて、今の強みが生きてこそ将来の外部機会を捉えうると考えいる。ゆえに成功する経営戦略には4つの「経営的要素」が必要だった。

  1. 製品・市場分野(ドメイン)と自社能力の明確化:企業がどの事業や製品に力を入れているかを正しく理解する
  2. 競争環境の特性理解:競争を優位に進めるには競争環境がどのような性質を持つか理解する
  3. ジンナーの追究多角化の際、既存事業と「結びつけると効果・効率が上がる」相乗効果が必要
  4. 成長のベクトルの決定:既存ビジネスとのジンナー方リスクkを判断し、成長(多角化など)の方向づける

これが成功する経営戦略なのだ。ちなみに最初に事業間の相乗効果をシナジーと呼んだのはアンゾフなんだ。

 

でもアンゾフが知られているのは、、、、

1957年39歳のときに発表した「アンゾフ・マトリクス」です。

企業戦略を考えてるため経営戦略ツールがアンゾフ・マトリクスです。


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アンゾフは戦略の基本的原則の「企業事業とのシナジー」で4つに分けました。

①市場浸透戦略:既存の市場(顧客)を相手に、既存の製品を戦う

②市場開拓戦略:既存の製品を、新しく市場(顧客)に売り込む

③製品開発戦略:既存の市場(顧客)に、新しい製品を開発し売る

多角化戦略:新しい市場(顧客)に、新しい製品を開発し投入する

 これにより、増えてきた多角化事業を企業全体としてどちらの方向に持っていけばいいかという企業の悩みを救いました。

 

その後+まとめ

1979年、アンゾフは61歳で『戦略経営論』を世に出します。『企業戦略論』は狭すぎで戦略的な企業を経営するにはもっと統合的なアプローチが必要でした。

そしてそれらを拡張して、外部環境の「乱気流度合い*」に合わせて、企業に戦略や組織は「同じレベルで」変わらねばならないと結論づけました。戦略だけが先に進んでも、組織だけが先に進んでも失敗する。これは70~90年代に盛んになる「ポジショニング派VSケイパビリティ派」の戦いに対する答えでもありました。

「ポジショニング重視だけでもケイパビリティ重視だけでも失敗する。その両方が環境に合わせて歩調を合わせなくてはダメだ。環境の乱気流の度合いが激しければ、戦略は創造的・試行錯誤になる」です。

*業界における環境を反復型・拡大型・変化型・不連続型・突発型の5段階に分けた。

 

そうしてアンゾフが構築したコンセプトは、これ以降登場するほとんどのコンセプトがアンゾフによってその原型が生み出された言っても過言ではありませんでした。

バーニー(ケイパビリティの番長)

ルメルト(無関連多角化・関連多角化より低収益性)

ヘンダーソン(外部環境と競争を組み合わせた「成長・シェマトリクス」)

ハメルとプラハラート(自社の「強み」を研究したコア・コンピタンス論)

キムとモボルニュ(バリューイノベーションブルーオーシャン

ビーターズとウォーターマン(アンゾフの3Sを拡大・詳細化した「7Sモデル」)

クレイトン・クリステンセン(現代最高のイノベーション研究者)

などなど、、、

( 後に記事にします)

 

 

次回

最初の経営史家アルフレッド・チャンドラー。「組織は戦略に従う」とは言わなかった、、、