ニートのアメリカ留学物語

今アメリカに留学している。ニート。日々の鬱憤を爆発する場所。

(日記)初メジャーリーグと今後の活動。コース変更テストの結果=合格

こんにちはアレックスです。

 

今日は6月28日金曜日23時。

アメリカに来て初めて遊んだ日でもあり、初メジャーリーグ

 

いやーー、楽しかった。

なにをしたかって?(重要だから2度言います)

 

人生初めてメジャーリーグをみに行ったのさぁ

 

 

野球観戦がこんなに楽しいものとは思いもしなかった。

日本の観戦とは全くの別物で、

例えると、(映画館➕ROUND1)➗2した感じ。

基本は見専なんだけど、勝手に見知らぬ人と仲良くなって大声で応援したり、攻守交代の空き時間に、メインスクリーンに映ろうと必死にダンスしたり、デカスクリーンでカラオケやゲームやったり、判定に不満を持ったら、みんな立っておかしいだろ!と一斉にブーイング👎するわで、すごく楽しかった。

 

日本との違いは明らかにノリで、

これがメジャーか!っていう感じで刺激的だったな。

 

 

そして明日からの予定

今週の火曜日に「僕の最初の試練(勉強編)」 で紹介したテストが終わったり、「また会う日まで」では大切な人とお別れしたりと、勉強に気が抜けた1週間であった。ちなみにテストは無事合格でした。

そして、明日から新たな目標に向けて頑張ると....

 

その目標とは38日後に控えた、大学のレベル分けテスト。日本と違い留学生にとってはとても重要なテストだ!というのは「日曜日の夜に...」の記事で説明したのだが、そのテスト勉強が始まるというわけだ。

やることと言えば、ネクストステージを終わらせるのと青チャート1,2,A,Bを終わらすこと。ネクステはもう終わりそうなんだが(復習が森森)チャートがまじで無理ゲーに近い。

高校は工業高校で理系よりと有利に思えるが、レベルが低すぎて文理以前に問題があるし、そもそも高校3年間の勉強をまったく覚えてない。だから、今は英語より大変だ。けど結局やるのがオチなんすけどね…はぁ

 

と、ため息を吐いてるうちに寝る時間が迫ってきたので、もう寝ます。

明日から心機一転頑張ろう。

 

では、皆さんおやすみなさい。

 

 

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過去の記事はよまないで!

過去の記事は読まないで!

 

正直すごく恥ずかしい。

 

僕のブログに記事ランキングというものがあるんだが、1,2,3位と恥ずかしい記事がランクインしている。これは本当に恥ずかしいかぎりだ。こんな恥ずかしいランキングはみたことない。

 

だから、

だれも期待してないリメイク版を書こうとおもう。これはいわゆる自己満だ。だから、今は、うん、読まないでーーー(´;ω;`)

 

勉強後半戦は精神が安定しないから、こんなツイッターみたいな記事も今後でてくるだろう。そのときは、こいつ今病んでるんだ、ワロタ。くらいに思ってほしい。

 

では、ねる。

 

 

読み返して一言、なんだこの記事、こいつ今病んでるな、ワロタ。

 

僕の最初の試練(勉強編)

こんにちはアレックスです。

 

最近の悩みは今通ってるコース。

理由は勉強するやつが一人もいないことだ。これはいたって重大な問題である。

 

ぼくは勉強するためにアメリカ留学をした。9月にカレッジ入学を控え、一足先に2ヵ月間の語学学校に通っている。この2ヵ月間で大学の授業についていけるほどの実力をつけること、と、カレッジを入学する際に受けるプレースメントテストの対策も兼ねて留学した。プレースメントテストとはレベル分けテストの事だ。

日本ではあまり重要視されてないが、4年制大学編入を目標にする留学生にとってはとても大切なテストだ。もしこのテスト結果が悪いと、単位にならないクラスを受けなければならない。要するに、お金と時間と労力のむだになるんだ。これは留学生としては痛い。だから勉強しないといけないわけだ。

 

プレースメントテストで悪い点数を取らないために語学学校にきたはいいものの、なんと生徒誰1人勉強しない学校に来てしまったのだ。

留学して1週間目にして俺はガチ病した理由はここにある。その時の状況と心境は他の記事で書こうとおもう。多分、すごくメンヘラ生粋の記事になりそうだ。

 

話をもどすと、俺はこのままではダメだと思い授業初日でクラスを変えたいといった。そして次の週にクラス変えた。ところが、クラスが変わっても環境は変わらなかった。そして2週間目の今、コースを変えたいと先生にいったのだ。

今通っているのコースはELSコース、そこからケンブリッジ英検コースに変えようとおもい、今日試しに授業をうけてきた。個人的にとても良く、先生に変えます!といった。

しかしだ、

ここで先生はだめだと言ったのだ。君にはレベルが高すぎると、、、だから今のコースで実力をつけてから来なさいと言われた。

けど、おれもそう簡単に引き下がるわけにはいかない。あの環境には絶対戻りたくない!そう心に誓ったからだ。

だから粘った。下手な英語で粘った。遠回しに俺の英語レベルが低いと証明しながらも粘った。そしたらテストに合格したらいいよと言った。そのテストとはクラスのレベル上げテストであった。

今おれのいるレベルは5。ケンブリッジ英検コースに入るには7必要といわれた。こうなると俺はレベル5のテストとレベル6のテストを合格しないといけないわけだ。普通なら1ヵ月半、クラスで勉強してようやく受けるテストである。範囲でいうと教科書約200ページ分に相当する。そしてテストの日は月曜日。現在が金曜の0時。残り48時間(怯)。けど、大変そうに感じて、結局語学学校のレベルテストだ。底が知れている(笑)と、調子にのると爆死するので、しっかり勉強しようとおもう。

テストは文法、英作文、リスニング。計8割越え合格だ。2週間前までニートだった俺にすれば正直きつい。コロコロ鉛筆での攻略も考えた。だが、乗り越える壁があるなら実力で乗り越えるのが一番かっこいいだろう。それは間違いない。そう考えるのはニートだったからか?いや、そんなことはないだろ。人類みんなそう感じるはずだ。

だが、逆に言えばこの2週間、俺が勉強してきたことが証明できるチャンスでもある。ここで敗北すれば自信を失い病むだろう。またか、、、。まぁ、その時はその時だ。勝利したら俺は自信に満ち溢れ、留学して最初の成功と言えるだろ。想像しただけでも俺はうれしい気持ちになる。

 

現実は死ぬか生きるか。コロコロ鉛筆でいくかどうか。それは俺次第だ。

2週間の頑張りを証明できるように、がんばろうとおもう。

では、明日に備えて寝るとしよう。おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

[留学初ブログ]日曜日の夜に友人の愚痴をきく(アパート編)

皆さんお久しぶりです!ALEXです(^▽^)

 

実は6月9日から5年間のアメリカ留学が始まりました。

Twitterに投稿するネタとして日々メモ帳に書き込んでいたのですが、ネタが豊富?というよりは感じたことや言いたいことなど溢れてきて、ブログに書こうとおもったのが再開の理由です。

で、

今は留学してちょうど1週間目の日曜日です。

留学初日の事や1週間通して感じたことなど書きたいところですが、ちょうど10分前に現地でできた友人の愚痴をきかされておもしろいとおもい、いまブログを書いてます。

では、早速かいていこー

 

日曜という休日。

だれもが1週間で一番大好きな曜日、それが日曜日。

けど、

 

 

わすれないうちに本題へ

さっきまで友人の愚痴をきいてきた。

その内容は簡単に言うと、ルームメイトの不満だ。なんならすでにキレてた(笑)

人生で初めて3日連続でキレたというほどのキレっぷりだった

 

そもそも彼のルームメイトは韓国人の19歳。(韓国人みんなが彼と同じ性格では決してございません)

事の発端は部屋に女の子やたくさんの友達をつれてきたことだった。2人部屋といえ異国の地での唯一のパーソナルスペースに毎日見知らぬひとが出入りするという(笑)個人的に好きなはなしだ。そして昨日はスイス人の女性とベットの上でイチャイチャしてると言ってた。人を連れ込むことはいいらしんだが「一言あってもいいんじゃないか?」と怒ってた。

しかし、彼の堪忍袋はそんなもんでは破裂しない。彼は普段から温厚のやさしい23歳だ。ではなぜこんなにも怒り狂いはじめたのか。ここからはコンボ形式でお話を書いていこう。

1コンボ、世界で一番のかまちょ。

彼は世界で一番のかまちょである。うん。おれもそう思う。

まず、寝ている友人を勝手に起こすという暴挙w。友人はかまちょ性質を考慮し布団を頭まで覆いかぶせ、僕はいま寝てますよ。とアピール作戦を実行した。しかしだ、ルームメイトはなにを考えたかお布団の上からツンツンしたという。この行為はお泊り彼女とのイチャイチャタイムか修学旅行の「絶対寝てはいけないゲーム」上での安否確認に用いるツンツン以外、行ってはいけない約束だ。それなのに彼はした。100歩譲ってツンツンは許そう。だが睡眠の邪魔は5000兆円くれても許されないことだ。俺なら間違いなくお金をもらってかわいい女の子とホテルにいく。

2コンボ、19歳にして酒癖がわるい。

彼は1週間に3~4回は宅飲みをする未成年である。僕たちも僕たちの周りの人達も未成年飲酒に関しては何も言わない。なので飲む分はいいのだが、酒癖がわるいのが不幸中の不幸だ。例えると、酒を飲み終わって部屋に帰ると友人にみっちり他人の愚痴をお披露目するアフターサービスばっちりな癖だ。そして、友人も大して聞いてないなりの適当な返事をすると彼は既に寝ていた。まぁこれが1時間くらいだな。まぁかわいそうだ。お疲れのところにボディーブローはさすがに効きすぎる

3コンボ、寝言がうるさい。

彼の寝言はあまりにうるさいらしい、それだけだ。

4コンボ、Good morning men!!

彼は、あさ頼んでもないのに起こしてくれるという超優しいルームメイトなんだ。

今日のあさ8時それは起こった。3コンボ決められ早朝4時に寝た友人。4時間後、彼は、なんとGood morning men!!をかましたのだ。これはキツイ。きつすぎる。すでにボディーブローを食らってるがさらなる追い込みにミドルレンジを打つとは世界チャンピオンらしい。

誰でも朝は起こされたくないのが世の中の常識なのだが、世界チャンピオンに常識は通じない。さすがの俺もクロスカウンターを打つに違いない。だが優しい友人はぐっっと堪え部屋をでた。尊敬するひとがいない人は是非彼を尊敬、応援メッセージをこのコメント欄に書いてくれ(書いた人は俺のブログで初めてコメントを送った人との勲章つきだ)

3コンボも食らって生きてる友人も凄いが、もっと尊敬してほしい方はルームメイトだ。これに尽きずまだまだコンボは積みあがっていく。

5コンボ、きてきて詐欺(草)

ルームメイトは詐欺師でもあった。これはなんとも卑劣だ。

それは今日の夕方に起こった。今週テストを控える友人は自室で勉強していた。最悪にも彼らの部屋には大きい机が1つしか置いてない。そこに彼がきた。「なんで勉強してるの?ねぇ、なんで勉強してるの?、、、俺も一緒に勉強していい?」と、だる絡みからの一緒に勉強しようだ。友人はもちにろんで外で勉強するといいカフェに出かけた。

するとカフェで勉強してる友人のところに一通のlineが届いた。それは彼だ。

「ねぇ、今どこにいるの?」

友人「カフェだよ。なんで?」

彼「いったん戻ってきて」

友人「???、なんで?」

彼「既読無視」

 

とりあえず友人は帰宅した。すると彼は机にiPhoneを横に置きYouTubeを見ていた。そして呼んでおいて用は何もなかった。友人の堪忍袋を爆発寸前だ。本当に最悪すぎる。こんなキテキテ詐欺を出来るのは彼女くらいだし、彼女だとしてもあまりおススメしない絡みだ。

6コンボ、「自室」という共有スペース。

先程いったので省略するが、自身のパーソナルスペースはないに等しい。悲しすぎる!かわいそすぎる!

 

以上合計6コンボがこの3日間に炸裂した。あしたもう1コンボきまれば友人は彼を部屋から追い出すと言って寝についた。

ルームメイトは今までのコンボ中に友人が出した雰囲気や多少の態度を察しれなかったことから、予想では明日、間違いなく地雷を踏むだろう。明日のアパートの話題は27号室でいっぱいになりそうだ。(ワクワク)

彼らに続編がうまれたら、またブログで紹介しようと思う。

 

ということで、今日はこの辺でおわかれだ(くそつかれた)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【2章・3話】「経営戦略論」の父、イゴール・アンゾフ!市場と事業が複雑化した黄金時代の1960年代、彼が生み出した数々の神の「経営戦略論」とは?一体なんなんだ!?

皆さんこんにちはAlexです。

 

今回は経営戦略の真の父、アンゾフ先生。経営・企業戦略の意味を唱えたり・成功する経営戦略に4要素を生み出したりと今回の記事は盛り沢山!ここでは紹介しきれないほどの華々しい業績があるアンゾフ先生ですが、悔しくも今回はほんの一部だけです(´;ω;`)。興味がある方はGoogle先生に聞いて下さいm(__)m

では、内容を書いていきますー(^▽^)/

 

 

イゴール・アンゾフ(H.Igor Ansoff 1918~2002) 


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32歳、数学と物理を修めランド研究所に。

 

38歳、ローキードに移り多角化研究。ローキード・エレクトロク二クスを立て直す

 

45歳、カーネーギー工科大学教授に就任。「ギャップ分析」「アンゾフ・マトリクス」などを生む

 

プロフィール

イゴール・アンゾフはロシアから家族とともに海を渡ってきました。彼は数学と物理がの修士号、そして応用数学の博士号を持ち32歳から米陸軍お抱えのランド研究上で6年間働きます。

さらに

ローキードで「多角化問題の基礎研究」

ローキード・エレクトロ二クスで「計画・プログラムの担当」副社長

最終的にはエンジニアリング部門の実質的経営者(ジェネラルマネジャー)

赤字部門へと見事に変身させました。

1963年にカーネギー工科大学の教授となるまでの13年間、彼は実務・実業経験を積んでいきました。そして13年間実業界で華々しい活躍をした後1963年45歳で学術界へ転向し、その時はすでに彼は「実証済み」の戦略構築の方法論コンセプトを携えていたのです。

 

 1960年代の背景

1960年代、当時の欧米経済は大いに発展していまいた。また規制緩和によって企業に多くは買収・合併(M&A)を経験することになります。

1957年代にはローマ条約によって欧州経済共同体(EEC)が創設され、欧州はひとつの大市場へと変わりました。その結果、海外売上比率が上がりました。

この複雑な状況(市場と事業の複雑化)の中で総戦略を立てるのか?アンゾフはそこに答えを提供したのです。1965年『経営戦略論』でのことでした。

 

『企業戦略論』は企業としての競争の意味と方向性を示した

経営・企業戦略の意味は大きく4つあります。

  1. 3Sモデル
  2. ギャップ分析
  3. 企業戦略
  4. 競争力の源泉

①3Sモデル

まず3Sとは企業における意思決定を3種類に分けたこと。

3Sモデル:

戦略 Strategy

組織 Structure

システム Systems

(後に7Sモデルの元になる)

 

②ギャップ分析

トップマネジメントの責務である戦略的意思決定。経営戦略は「現在と未来をつなぐ方針」。現在でも「ギャップ分析」としてあらゆる場面で使われます。

 

現状(As is)⇒(Gap)⇒ あるべき未来(To Be)

 

③企業戦略

企業が複数の事業を持つことが多くのなった時代なので経営戦略を2つに分かれました。

  1. 各事業の方針を決める「事業戦略」
  2. それら全体を管理・統合する「企業戦略」

企業戦略とは事業全体として、どちらの方向に成長を求めるかを決めること。

結果として、どのような事業セットを目指すかを決めること。いわゆる事業のポートフォリオ管理です。*ポートフォリオ管理=投資案件を個別では集合全体でのバランスで分析・検討して、経営資源を最適に配分すること(多分)

④競争力の源泉

既存の企業活動の中でもコアとなる強み。コアになる強みがなえれば競争すらならない。

 

この4つが、競争のおける基本的な考え方と明示しました。

 

これが成功する経営戦略の4要素だ!

さて、今の強みが生きてこそ将来の外部機会を捉えうると考えいる。ゆえに成功する経営戦略には4つの「経営的要素」が必要だった。

  1. 製品・市場分野(ドメイン)と自社能力の明確化:企業がどの事業や製品に力を入れているかを正しく理解する
  2. 競争環境の特性理解:競争を優位に進めるには競争環境がどのような性質を持つか理解する
  3. ジンナーの追究多角化の際、既存事業と「結びつけると効果・効率が上がる」相乗効果が必要
  4. 成長のベクトルの決定:既存ビジネスとのジンナー方リスクkを判断し、成長(多角化など)の方向づける

これが成功する経営戦略なのだ。ちなみに最初に事業間の相乗効果をシナジーと呼んだのはアンゾフなんだ。

 

でもアンゾフが知られているのは、、、、

1957年39歳のときに発表した「アンゾフ・マトリクス」です。

企業戦略を考えてるため経営戦略ツールがアンゾフ・マトリクスです。


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アンゾフは戦略の基本的原則の「企業事業とのシナジー」で4つに分けました。

①市場浸透戦略:既存の市場(顧客)を相手に、既存の製品を戦う

②市場開拓戦略:既存の製品を、新しく市場(顧客)に売り込む

③製品開発戦略:既存の市場(顧客)に、新しい製品を開発し売る

多角化戦略:新しい市場(顧客)に、新しい製品を開発し投入する

 これにより、増えてきた多角化事業を企業全体としてどちらの方向に持っていけばいいかという企業の悩みを救いました。

 

その後+まとめ

1979年、アンゾフは61歳で『戦略経営論』を世に出します。『企業戦略論』は狭すぎで戦略的な企業を経営するにはもっと統合的なアプローチが必要でした。

そしてそれらを拡張して、外部環境の「乱気流度合い*」に合わせて、企業に戦略や組織は「同じレベルで」変わらねばならないと結論づけました。戦略だけが先に進んでも、組織だけが先に進んでも失敗する。これは70~90年代に盛んになる「ポジショニング派VSケイパビリティ派」の戦いに対する答えでもありました。

「ポジショニング重視だけでもケイパビリティ重視だけでも失敗する。その両方が環境に合わせて歩調を合わせなくてはダメだ。環境の乱気流の度合いが激しければ、戦略は創造的・試行錯誤になる」です。

*業界における環境を反復型・拡大型・変化型・不連続型・突発型の5段階に分けた。

 

そうしてアンゾフが構築したコンセプトは、これ以降登場するほとんどのコンセプトがアンゾフによってその原型が生み出された言っても過言ではありませんでした。

バーニー(ケイパビリティの番長)

ルメルト(無関連多角化・関連多角化より低収益性)

ヘンダーソン(外部環境と競争を組み合わせた「成長・シェマトリクス」)

ハメルとプラハラート(自社の「強み」を研究したコア・コンピタンス論)

キムとモボルニュ(バリューイノベーションブルーオーシャン

ビーターズとウォーターマン(アンゾフの3Sを拡大・詳細化した「7Sモデル」)

クレイトン・クリステンセン(現代最高のイノベーション研究者)

などなど、、、

( 後に記事にします)

 

 

次回

最初の経営史家アルフレッド・チャンドラー。「組織は戦略に従う」とは言わなかった、、、

 

 

【第2章、2話】「マネジメント」の有効性を広めた伝道師。時代を超えた巨匠、ピーター・ドラッカー!!

皆さんこんにちはAlexです。

 

今回は時代を超えた巨匠、ピーター・ドラッカー!!

名前を聞いただけで興奮する人ですが、今回は残念ながら深くまで説明はしません(出来ない)

この記事では「近代マネジメントの伝道師」として活躍した1940~50年代の思想を紹介します(^▽^)/

 

では、行ってみようー

 

ピーター・ドラッカー(peter Drucker 1909~2005)

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「マネジメント」有効性を世に広めた”伝道師”

22歳、公法・国際法の博士号。新聞社で働き始める。

 

37歳、アメリカに渡る

 

37歳、GMを研究し『社会という概念』出版

 

46歳、『現代の経営』でマネジメント分野のリーダーに

 

65歳、『マネジメント』出版。日本だけで400万部以上。

 

プロフィール

ピーター・ドラッカーは20世紀初頭のウィーンに生まれました。22歳で公法・国際法の博士号を取り新聞社で働き始めます。95歳で亡くなるまでには33冊以上の著作を発表され、37ヵ国以上で出版し『マネジメント 課題・責任・実践』は世界で数百万二人読まれています。

 

事の始まり

1946年『会社という概念』は前回紹介した、GMドラッカーに依頼した自社研究(経営方針・組織など)のレポートです。

自社研究の結果GMが採用していた事業部制の素晴らしさが分かりした。大企業を管理する分権作業の手法として見事でした。

しかしドラッカーは欠点を見つけ出しました。GMは作業員を利益追求のための(削減すべき)コストとして考えているが、作業者は活用すべき経営資源である」「GMは命令と管理を重視する官僚主義に陥っており、将来の急激な変化に対応できない」と言いました。従業員たちへのさらなる権限移譲と自己管理の必要性を提起しました。

それに対して、GM幹部たちは大いに不興は買い「禁書」扱いもされました。GM以外では「分権化」の必読書として賞賛され、危機に陥っていたフォード再建の教科書ともなりました。

 

企業を中心としたこの「産業社会」は社会として成り立つのだろうか?

「社会的存在としての人間」はこの産業社会において幸せになれるだろう?

 

その答えは、分権化マネジメント

 

【現代の経営】で企業とマネジャーの存在意識を明示した

1954年、『現代の経営』でドラッカーはマネジメント分野でのグル(指導者)としての地位を確立しました。シアーズやAT&Tという「新しい」成功企業たちを詳細に紹介しあがら言いました。

経営管理者の仕事こそが事業に命を与え、そのリーダーシップがあってこそ資源たるヒト・モノ・カネが動き出すのだ」

この本では「マネジメント」を独立した機能として捉え「マネジャー」の役割を明示します。内容としてはフェイヨルのそれと似たものでしたが、機能でなくマネジャーという個人たちに向けて語ったことでその共感を得ました。

 

企業経営を「機械的な内部管理」だけでなく3つの側面から考えた。 

  1. 顧客の創造 企業は顧客への価値を創造するためにある
  2. 人間的機会 企業は人を生産的な存在とするためにある
  3. 社会的機関 企業は社会のコミュニティーの公益をなすためにある

いずれも現代に通じるコンセプトであり、①はマーケティングの根本であると同時にイノベーションの勧めでもあります。③はCSR(Corporate Social Responsibility企業の社会的責任)とまさに現在のテーマです。

とても第2次世界大戦直後、60年前の主張とは思えないです。でもそれは、彼の先進的主張にみんなが共感はしても実現しきれなかったということでもあります。理念の実現にはやはりもっと具体的な経営戦略論が必要でした。

裏返せば、それは彼のコンセプトに実現が追いついていけなかった、ということでもありますが、それはドラッカーのせいではありません。彼は研究者であり教育者でもあり、そして何より著述家・文筆家なのです。有効なコンセプトをつくり、まとめ、伝えることこそがドラッカーのミッションだったのです。その実現はわれわれの仕事です。

 

次回はいよいよ論から実行です。そしてアンゾフの登場です。彼こそが経営戦略の父と言える存在なのです(歓喜

次回

市場と事業が複雑化した「黄金の1960年代」にアンゾフ登場!